こんにちは、今日は思ったこと書きます
いつも思ったこと書いてますが…(^^; 突っ込まないでくださいね(笑)
時間がある時にブログの更新するというのはいささか妙な言い訳ですね
本物というのは「ブログを書く」という予定をスケジュールに組み込むのですよ
時間が無いというのは言い訳でして、時間管理ができないと公表しているようなものです
じゃあ何月何日に書くという決まりがあるのかというと決めてない。だいたい1~2か月に一度くらいは書くとしている次第でございます。
そもそも時間とは誰もが限られた範囲で何かをするというのが人生なのですから、やらなくていいことなら初めからやらなくていいのです。人生てそんなに余裕なんてないんです。
今日のお題はタイトル通り脇役について進めていきたいと思います


今日の新聞に載っていた記事です
遅刻については先に述べたように時間管理です。ここで気になったのは役者である寺田農さんという人です。この方の名前を聞いてわたくしパッと頭に浮かびませんでした。
でも顔を観るとみたことあるなぁと感じ、ラピュタのムスカの声と聞くと「ああーー」となるのでした。普段何気に見ていたあのシーン、この人は誰?とはなかなか思わないものです。特にその方が亡くなってから知るというのは昔から変わらない自然な現象でもあるなぁと思うのでした。
普段何気にお世話になっているものというのは誰かが支えてきた礎(いしずえ)なのです。
技術でも文明でもそう、誰かが開発して発明して試作を繰り返し世に解き放ってきて、それをまた誰かが改良して…を繰り返してきているのです
それがだれかまでは分からなくても誰かの血と汗と涙が滲んだもので築き上げてきたものかもしれないということは噛みしめていきたですね。
LEDをご存じだと思います。今や生活には欠かせないものとなりました。それまでは蛍光灯や白熱球、真空管やネオンが主流でした(ネオンて知ってる?汗)
でもLEDが発明されたのは1962年で主流になるまでには長い年月を要しました。当時赤色の発光ダイオードが造られたのですが赤色以外はまだ不可能だったのです。それに当時この光が次世代の光になっていくとはあまり考えられてもいなかったのですが、緑の発光ダイオードが造られてから次世代の光になるといわれるようになりました
エジソンがフィラメントで電球を造ったようにLEDにも素材によって光の波長を変えられることが後にわかってきて次に造られた緑の発光ダイオードは10年近くの歳月を要してます。光の3原色とは赤青緑ですので残る一つの靑のLEDを造ることができれば白色が造れて無限の色が造れることになりますが、波長の一番短い靑の光は困難を極めました。そしてとうとう1985年に赤崎勇氏と天野浩氏が青色LEDに必要な窒化ガリウム(GaN)の単結晶化に成功し、1989年に青色LEDを開発したのです👏👏👏
さぁ、ここから爆発的に普及していくかとなると…なってませんね(^^; 世は平成に突入しバブルが弾けて、乱世にも満ちた世だったようですが青色のLEDなど見たこともありませんでした。赤と緑は比較的見かけたのですがやはりコストの問題が生じてきていたのではないかと….
少しずつ少しずつ世の中にいつの間にか浸透してくるものほど強いものは無いといつも思えます。年輪のようにゆっくりゆっくりと成長をしてきたものは気づいた時には生活に欠かせないモノへとなっているものです。21世紀になってから信号機がLEDに少しづつ変わってきていることには気が付きました。それまでは赤と緑(日本人は緑をアオと呼びますが)の色がLEDで可能だったのですが、黄色が造れなかったのです。靑色のLEDの登場でついに黄色が造れるようになったのです。
これこそがまさに名脇役なのです
技術でも役者さんでも気づかないところで私たちを支えているということをわざわざ知らなくてもいいですが、やはり意識はしたいものです
余談ですが2014年に青色のLEDを開発した功績で天野浩氏が赤崎勇氏、中村修二氏と共にノーベル物理学賞を受賞しました。実に開発から15年の年月がかかってます。功績というのは称えられるまでが長い道のりが必要なんだなぁと思えるのはやはり年月をかけた実績こそが功績だからに他なりませんね。余談というのは、わたくしその当時ちょっと特殊な仕事をしてまして勤務先の会社はヒッグス粒子とかニュートリノだとかカミオカンデだとか聞いたことのある人はいるかもしれませんが深く関わる仕事に就いてました。当時営業の人が名大(名古屋大学)で天野教授と仕事の打ち合わせをしていたら国際電話が入ったらしく、助手が電話に出た後「先生電話ですよー」となって「今忙しいから後にしてくれ」と教授。「それが英語じゃなくてなんかノーベルがどうとか…って」「はぁ??」といって電話に出た教授は受話器に「はぁ、はぁ…んーーー…ん」といって電話を切った後「ごめん、なんかねノーベル賞とっちゃったみたいなんだわ。今から記者会見するらしいから今日ちょっと帰ってくれる?」といわれて帰ってきた営業。社長に「なんかノーベル賞とったとかなんかいってました」の報告で「ええーーーー!!!」騒ぎになってました笑
話それましたが脚光を浴びてない名脇役が世の中ほとんどなのです。その永い長い年月の果てに、あるいは亡くなってから脚光を浴びることは珍しくありません。決して名前を轟かせたくて功績を造る人たちではなく、世のため人のために尽くした人たちこそが本物なのです。それにこんなもの誰がつかうんだと言われながらもフタを開けたら大ヒットなんてものも多くあります(過去のブログ 人々は必ずしも最先端を求めてるわけではない )周りから支えられることもあれば罵声を浴びることもあるでしょう。世界が平和になると信じて造ったのに核爆弾に使われてしまう悲劇だってありました。それでも人類は歩みを止めない。それが何に使われるかは後から生まれてくるもの達次第であるのにそれでも希望を託して進むのです
自分も生きた証をこの世に残したいと思いますが、それは必ずしも誰もが知る功績でなくていいと感じてます。誰かの役に立つのなら。誰かが喜んでくれるのなら。
そんな人生を送れたらいいな
ではでは!(^^)!